助産師 牛草 由美子 (うっしー) の自己紹介
Nurturing Motherができたきっかけ
私には現在高校生の息子と中学生の娘がいますが、私の妊娠経過はいつも流産と早産の危機と隣り合わせの日々でした。
元々、「やせ」体質で冷え性がひどく、この身体で妊娠できるのか?と不安があり妊娠を望むようになってからは、漢方やサプリメントに頼って
いました。
幸い、予測どおりのタイミングで妊娠できましたが、産婦人科医から妊娠と診断された時はすでに流産しかけており、
「もてるのは五分五分だから・・」とぬか喜びしないよう釘をさされました。
案の定、仕事中に水道の蛇口をひねったような大量出血をして切迫流産の診断を受け、緊急入院となりました。
緊急入院後、このまま流産するだろうと、子宮内容除去術の準備がされる中、長男は「生きて」いました。
子宮内容除去術は避けられたものの、安静にしてもなかなか止まらない出血のために、妊娠中期まで
ナプキンを着けていなければならず、毎日「今日はもってくれますように・・」と神様に祈りながら、
1日、1日をすごしたのを覚えています。
出血が落ち着いた妊娠後期にはお腹の張り(子宮収縮)がひどくなり、赤ちゃんが生まれてしまわない
ように子宮口を縛る手術(子宮頸管縫縮術)も受け、マタニティフィットネスインストラクターでありながら、
妊娠中のエアロビクスはたった1回きりの経験で終わってしまいました。
しかもこの経験は1人めだけではなく、2人めの妊娠も全く同様の経過をたどりました。
私にとっての妊娠・出産は安静の時期が長く、「今日、流産・早産してしまうかも」という不安との闘いでした。
出産は、切迫流早産で子宮口も開きかけていたので超安産。初産婦にしては7時間という短時間で終わることができました。
出産後、わが子が腕の中で一生懸命泣けば泣くほど、「この子は生きている」「泣くのも生きている証拠」という実感を感じて
感慨深くなりました。
職場復帰をしましたが、育児をしながらの仕事にはいろんな制約が付きまといました。
家族・同僚、たくさんのサポート機関の支援を得てなんとか両立することができました。
自分が出産してみてはじめて「母親になる」という役割の尊さ、偉大さを強く感じ、出産は女性にしか
できないこと。その女性たちを元気にできる何かをしたいと考え始めました。
そこがNurturing Motherの原点です。
臨床の現場では、妊娠・出産・育児の影の部分も見てきました。
望まない妊娠・中絶・出産・育児放棄・・・・など
そこには、男女のコミュニケーションの問題が多く潜んでいました。
悲しい想いをする女性を一人でも少なくしたい。
命のバトンリレーをつなぐ女性にもっと輝いてほしい。
そう強く感じて、レイキやシータヒーリングを学び、2015年4月に女性のココロとカラダ、スピリットを元気にする相談室「Nurturing Mother相談室」
を開業しました。
人生は選択の連続です。
女性として生まれたとしても、妊娠・出産を選ぶこともできるし、選ばないこともできる。
一生を通していろんな経験や葛藤を経て、一つ一つを自分で選択して決めていくことができる「強さ」と「あたたかさ」が、女性の中にはしっかりと息づいています。
その強さは、とても丈夫でありながら、しなやかさも兼ね備えています。
それは親鳥がひなを大切に包んで育てるような、まさに「はぐくむこと」であると感じています。
母親は時には厳しく、時には優しく、無条件の愛で子どもを守ります。
また時として、先生であり、看護師でもあり、仲間や先輩でもあります。
私は、貴女のもとに寄り添います。
地球におりてきたすべての存在たちへ
感謝をこめて
うっしー
出身
1974年 長崎県佐世保市生まれ
佐世保市立看護専門学校卒業
大阪大学医学部附属助産婦学校卒業後助産師として臨床へ
1999年~結婚して福岡県へ
2010年~埼玉県在住
2015年~岡山県在住
保有資格
☆助産師
☆受胎調節実地指導員
☆新生児蘇生法専門コース認定
☆日本マタニティフィットネス協会認定インストラクター
☆レイキ・スピリチュアルアロマセラピスト
☆ザ・メタシークレット認定カードリーダー
☆ヴァーチューズ・プロジェクト・ジャパンファシリテーター
☆シータヒーリングインストラクター
基礎DNA/応用DNA/ソウルメイト/リズム/豊かさと願いの実現/ディグ・ディーパー/ゲーム・オブ・ライフ/アニマル/プラントセミナー
趣味
カラオケ(歌うこと)
土いじり(観葉植物の植え替え)
骨盤底筋群エクササイズ
(長女の出産時 13年前 若い・・)
好きな食べもの
アップルパイ シナモンロール レーズンパン
とんこつラーメン
高菜